ヒキコモリ奮闘記

元引きこもり男の生活を綴ります

2ヶ月で仕事を辞めた話

僕のスペック

20代後半、10年以上の引きこもり経験のある重度のコミュ症であり社会経験はほぼ無し。
ビルメン業界で3年ほど勤めている。

職場が変わるまで

勤めていたビルメン会社から、関連会社であるサブコンへの派遣の話が舞い込んできた。
仕事内容としては電気工事の施工管理、きついと聞く業界ではあるものの、成長のチャンスでもあると思い、この話に乗ることにした。
先方としては未経験でもいいので真面目で誠実な人が欲しいとのことで、なぜか僕が選ばれたようだ。

勤務初日~一週間目

現場は40代後半の所長と、20代の若手社員、それに僕を加えての3人の体制となった。
それに加えて現場の職人さん達が加わる形で、工事内容によってまちまちではあるものの1人だけの時もあれば10人近くいることもある。
出入りの業者さんも電気工事、通信関係、消防関係と多岐に渡り、コミュ症の僕にはなかなかに辛い仕事であることは勤務開始数日で理解できた。
そして現場の人たちも職人さん含め気が強い人が多く、僕はすっかり圧倒されてしまったのである。
正直なところ、最初の一週間で心は折れかかっていた…。
数年勤めるなんて夢のまた夢だなと確信した、いつ辞めるのか、3ヶ月か、半年か、それとも1年頑張れるか…。

業務内容

業務内容は図面の作成、修正、および現場の立ち合い、各種書類の作成となる。
しかし僕は経験不足から図面の作成は任せられることはなく、簡単な修正くらいだし、書類に関しても同じだ。
立ち合いに関してはビルメン時代にも経験したことはあるが、基本的に修繕工事や貯水槽の清掃等の定期作業が主でありゼロから建物を作る工事立ち会いというものには経験が全くなかった。
工事現場においては図面通りに仕上がっているのかはもちろん、他業者(建築業者等)との兼ね合いも考慮しなくてはいけない。
たとえば照明器具を取り付けるためには軽量下地を開口してもらわなくてはいけないし、そのうえで天井の取り付けや塗装が終わってからさらに天井ボードを開口してもらって、ようやく取り付け工事が開始できる、というような形だ。
僕は端的にいうと気遣いができないタイプの人間であり、こうした他業者の工程を考慮しつつ自分たちの作業を考えるということが大の苦手であり、こうした面でもこの仕事に対して不向きだと感じた。
実際のところ僕が工程管理に絡むことは全くないので、工事は何事もなく進んでいたのだが。

1週間目~1ヶ月目

早くも、完全に職場で孤立する。
食事の際も一言も発することはなく、他の人の会話を横目に黙々と食べ物を口に運ぶ。
こうした状態になってしまうと仕事にも支障が出始める。
報告、連絡、相談が全くないと所長から叱られ、若手社員からも似たような内容で叱責を受ける。
こうした出来事からさらに自分の殻に籠ってしまい、悪循環に陥る。
仕事に関しても現場の職人さんとのコミュニケーションができないために工事の進捗状況が把握できず、職人さんからの目線も厳しくなりつつあった。
職場に対して恐怖心しかないために恐怖と焦りから小さなミス(借りる鍵を間違ったり、書類の日付を間違ったり、等)が重なり、それが更なる周囲からの厳しい目線を生んでしまう。
早くも僕はリタイアを意識する。

1ヶ月目~2ヶ月目過ぎ

完全に心は折れ、毎日、通勤電車内で吐き気と頭痛に襲われるまでになった。
あと何日持つのだろうか、うつ病になる人ってこんな気持ちなのだろうかと思った。
職場が怖い、いっそのこと無断欠勤でもしたい、毎日考える日々になった。

このころになると現場の職人さんからの信頼は完全に消え、頼まれごとをされることもなくなった。
業務的には完全に干された状態で、自分の仕事と呼べるものは無いに等しくなってしまった。

毎日、恐怖心と戦いながらただ現場にだけは向かう、向かったものの仕事は無いに等しい。
勇気を持って「何か手伝う事ありますか?」と聞いても「ない!」と即答されてしまったり。
緊急の事態が起こった際も僕がついていこうとすると「来なくていい、電話番しといて」と言われたり。
現場の立ち合いに行くものの、「ただ立って見てるだけじゃねーか」と言われてしまう始末である。
実際のところその通りなのですが。

リタイアを決意

リタイアを決意し、会社に相談する。
会社からの返答は「意向は分かった、代わりの人員を早急に手配する。ただし1日2日でできることではないので、あと2ヶ月くらい頑張ってほしい。」とのことだった。
2ヶ月なんてとても無理だと思った。
続けて「この話は新しい人員が手配できるまで先方には話さないでほしい」とも付け加えられた。

リタイア

会社に相談してから1週間ちょっと経った日に、2日連続で激しい叱責をうけることになった、これも自分の不手際と、仕事への姿勢の悪さからなのであるが。
激しい頭痛と吐き気に襲われ、精神的に耐えきれなくなり、会社からの言いつけを破り先方に話してしまった。

「明日にでもやめたい、もう精神的に限界で、現場に行くのも怖い。」そう伝えたところ、このような精神状態で現場に行かれて事故を起こされても困るからという事で当日で辞めさせてもらえることとなった。

かなり急な話であったものの、今までお世話になった人たちに挨拶を回った。
職人さんからは「そう、お疲れさま」というかなりそっけない返事で、同僚の若手社員からは挨拶すらもなく、ふーん、といったリアクションであった。
恐らく、遅かれ早かれ近いうちにこうなることを予想していたのだろうと思う。
自分としては屈辱であったし、恥ずかしくもあったが、これが今の自分である、仕方がないのだ。
何より、この職場から解放されるという事が救いであった。

建築業者さんにも挨拶をしに行ったところ「もっとね、ハキハキした方がいいよ!若いんだから!もったいないよ!頑張って!」と言われた。

その後、本来の勤め先であるビルメン会社へ向かった。
どうやら、他の現場を手配してくれるそうで、減給などのペナルティーはないそうだ。
ある程度のペナルティーは覚悟していたのだけど…。

反省点

とにかく、悪夢のような2か月間から解放された。
吐き気は治まったが、頭痛の方はまだ続いているし、妙な緊張感も常に感じる、ボーッといていると職場の事を考えてしまい憂鬱になる。

反省点としては最初のコミュニケーション不全から取り返しのつかないところまでいってしまったように思える。
細かい相談や質問ができるような人間関係を築けていればここまでには至らなかったかもしれない。
また、自分の仕事に対する姿勢が受け身であり、これを怠慢と取られてしまったことも大きかった。
次の職場では仕事に対して積極的に向かっていかなければいけない。

また、僕はうっかりミスや物忘れが非常に多い人間であり、これもあって頼まれごとがどんどん減っていき、干される形になってしまった。
メモを取るなど心がけていたがまだまだ足りない。
もちろん、診断は受けていないけどADHDってやつなのかもしれないと自分では思っていて、意識と習慣づけでミスの多さと物忘れは直していきたいと思っている。