ヒキコモリ奮闘記

元引きこもり男の生活を綴ります

子供が超低出生体重児として生まれた話 その1

ここ数日間、激動の日々を送っていました。
まだ頭の整理がついていませんが、以下簡単にまとめます。

始まり(1日目)

妻が通っているクリニックの定期健診で、子供の発育が悪く、エコーの専門家のいる大学病院で検査をするよう指示があり、紹介状を書いてもらったという話を聞いた。
妻は若干、精神的に不安定になっている様子で、スマホで色々な情報を検索して、かえって不安を増大させてるように見えた。
僕はまだ、話の重大性に気づいておらず、大学病院の先生に診てもらって、安心できればいいだろうと思っていた。
もちろん有休を取って、一緒に大学病院へ行くこととなった。

大学病院へ

当日、僕は不安感など全くなく、のんびりと車を運転して大学病院へ向かった。
いつもは電車で通勤しているので、通勤時間帯の道路は混むな~と呑気に考えながら、いつも通り妻と雑談を交わしながら向かう。
妻の方も、大学病院で診てもらえる安心感からか、落ち着いているように見えた。

暗雲

長い待ち時間を経て、ようやく妻の番号が呼ばれる。
まず最初に血圧を測るよう看護師さんから指示を受け、待合室の脇に設置された血圧計で血圧を測る。
結果は収縮期158、拡張期108(正確な数字は忘れました)…。ずいぶん高い。
「機械が壊れてるんじゃないの?試しに俺も測ってみよう」 結果は収縮期105、拡張期52…。低いな。

妻がもう一度測っても似たような数値になり、血圧計からプリントされて出てきた結果の紙を手に看護師さんのもとへ行くと、採血と採尿を求められた。

妻に聞くと、1週間前にクリニックで検査した時も少し高めの数値が出た(収縮期130程度)が、もう一度測ったら通常の値が出たので、担当のお医者さんには2度目の値を話したそうだ。

しかし、さすが大学病院、患者さんが多く、時間は正午を回っていた。
「そろそろお昼だね、ごはんでも食べてきたら?」と妻、「大丈夫だよ、少し我慢するよ」と僕。

血圧のことは心配だけど、まあ、大学病院だから、いい薬でも処方してくれるだろう、今日は来てよかった。
僕はそう思いながら、診察へ向かう妻を見送った。

衝撃

診察を終えた妻が出てくる。
結果を教えてもらうまで、また暫しの待ち時間、昼飯食べればよかった…。

ようやく妻の番号が呼ばれ、今度は僕も一緒に診察室へ。
女医さんが話を始める(内容はかなりうろ覚えです)
「奥様と赤ちゃんの状態ですが、まず、胎盤が小さいことと、それに伴い赤ちゃんの発育が通常より遅れています。
 妊娠中はへその緒を通じて赤ちゃんに血液と栄養が流れていて、通常はその流れが一定なのですが、断続的に止まっています。」
ふむふむ…。
「また、奥様の血圧も高くなっています、母体にも影響が出てきていることを考えると、今すぐ出産をした方が良いと考えます。
 奥様には今日から入院して頂き、今日と明日にステロイドというものの注射をします、
 ステロイドの注射をすることによって、未熟な赤ちゃんに対して出産が近いというサインになります
 そのあと様子を見て、早ければ今週の水曜日、遅くとも金曜日には出産、という形になります。
 現在の赤ちゃんの体重がエコーで見ると570gくらいなので、NICUというところに入ります。
 NICUに現在空きがあるかはまだ確認していないのでここに入れるかはわかりませんが、NICUがあるのはここ以外だとA病院、B病院、
 そこにも空きがなくなるとC病院で、ちょっと遠くなってしまいます…。」

!?
なんだかサラっと凄いことを言われている

「ここまでの中で、何か質問はありますか?」
質問しかないけど…
「えーっと、繰り返しになっちゃうんですけど、今週中に出産するってことですか?」

「その可能性は高いです。」
お医者さんがこう言うってことは、ほぼ決定なんだろうな…。

すぐに会社へ電話をして、社長に事の経緯を説明した。
「わかった、仕事のことはみんなでなんとかするから忘れなさい、1週間は休みにしておくから」
いつもはいい加減な社長だけど、こういう時は本当に頼りになる。

こうして、妻の入院が決まった。
早速、家に戻って妻の日用品や着替え一式を取りに行き、病院へ届けに行った。
家に戻った時は19時過ぎ、食事のことは完全に忘れていた。
そういえばNICUって何だろう、検索すると新生児のための集中治療室のことらしい。

翌日(2日目)

休みを取ったは良いものの、コロナウイルスの関係で面会は1日1回、15分までと制限されており、僕にできることは特になし。
とはいえ、仕事ができる精神状態でもないけど…。
16時頃、車いすに乗った妻に昨日渡し忘れた日用品を渡し、面会する、やはり今週中に帝王切開の手術となる可能性は高いようだ。
一番つらいのは妻だろうけど、何もすることはできない。

面会を終えて車を運転中に着信が来るが、運転中なので無視、どうせ親か、話を聞いた親戚だろう。
駐車場に車を停めて、電話番号を確認する、知らない番号だが、市外局番から察するに病院だ。
慌てて電話をかける、受付の女性を何人か挟み、男性が出る。
「こんばんは、医師の〇〇と申します、よろしくお願いいたします。先ほど小児科、麻酔科の医師達と会議をして、奥様の手術を明日行うことになりました…。」
手術内容の説明が続く、要するに帝王切開で明日出産するらしい。

誕生(3日目)

妻の前にも一件、手術が控えていて、それが終わり次第に妻の手術に移るとの話だった。
そのため時間は未確定だったが10時に病院にいれば間違いはない、とのこと。
荷物は特にないし、この精神状態で車を運転すると患者が増えそうな気がしたので、電車とバスで向かう。
かつて引きこもりニートであった僕が迎える人生最大の山場である。

すっかり病院の待合室にも慣れてしまって、何時間でも待てる気がする。
11時45分ごろ、車いすの妻が手術室へ向かう、軽く言葉を交わすが、僕にできることは何もない。

正午の院内放送が流れる
「正午になりました、中庭にキッチンカーが出店しておりますので、ぜひご利用ください。なお、歩きながらのスマートフォンの操作は大変危険ですので、お止め下さい」
待合室にいると移動中のお医者さんが目に入るんだけど、だいたいスマホを操作しながら早歩きしているのがなんだかシュールだ。
お昼ご飯とおぼしきコンビニの袋を持っていて、本当に大変な仕事だと思う。

ボーッと待っていたら、ついウトウトしてしまったのだが、そんな時に限ってタイミング悪く看護師さんから声を掛けられた。
「〇〇さん、おめでとうございます、生まれました。赤ちゃんがもうすぐこっちを通りますよ」
慌ててスマホを持って立ち上がる。
妻から、赤ちゃんの写真を撮ってもらうようお願いされていたのだ。

お医者さんと看護師さんに囲まれて、保育器が運ばれてくる。
「おめでとうございます、男の子です」背の低い女医さんが穏やかな声で言ってくれた。
保育器の中の赤ちゃんは、目を見開いて、天に向かってもがいているように見えた。
正直なところ、可愛らしさや愛おしさよりも、不気味に見えてしまい、言葉を失って固まってしまった。
こんな状態で生まれてきてしまって大丈夫なのか?

数秒間、無言でいると
「小さいですかー?」女医さんが声を掛けてくれた。
「ち、小さいですね…。」今の僕に気の利いた言葉は出せない。

「写真とか、大丈夫ですか?」と女医さん
「あ、あとで…。」スマホを操作する余裕がなかった。
お医者さんと看護師さんとともに保育器はエレベーターに乗っていった。

それから一時間以上置いて、ベッドに乗った妻が運ばれてきた。
「よく頑張ったね」と僕
「赤ちゃんみた?」と妻
「うん」
「かわいかったね、頭撫でさせてもらったよ。〇〇くんは触った?」
「ううん、まだ触ってない…」
どうやら妻は元気そうだ。

さらに数時間後、妻と一緒にお医者さんからの説明を受ける。
妊娠26週、体重は520g
週数に比べると体重はかなり軽いが、その分、同じ体重の子に比べると臓器はしっかりしている、との話だった。
病名は早産児、超低出生体重児動脈管開存症、新生児呼吸窮迫症候群、その他早産に伴う症状。
見慣れない病名が並ぶが、お医者さんの説明では超低出生体重児としては一般的な病名とのこと、むしろ、まだ見れていない部分が多く、これからわかることも多いだろう、との話だった。
その他、血液の白血球や赤血球のバランスが悪いので、血液製剤や輸血が必要となる、とのことで輸血同意書に署名を求められた。
心臓に見た目の異常は見られず、脳出血もない、あとは動脈管開存症が自然に閉じるかどうか。
そのうえで、最初の便が出てくれれば消化器の異常もないということなので一安心、ということだった。
ただ、容体の急変等で、今後3日間程度は急に呼び出すことがあるかもしれないとのこと。

時刻は19時を回っていたが、最後にNICUでもう一度、赤ちゃんと面会させてくれるとのこと。
妻は手術直後のため病室で待機し、僕一人で向かうことに。
「今度はちゃんと写真撮っておいてね」と妻。

NICUに入ると、保育器の周りに看護師さんが二人
「今晩、担当させていただきます看護師の〇〇です。よろしくお願いします。」
なんとも丁寧に挨拶されてしまった。病院の方針なのか、お医者さんも看護師さんも、すごく腰が低くて丁寧な人が多く、かえって恐縮してしまう。
青白い光に照らされた保育器の中に、先ほどの赤ちゃんがチューブだらけになっていた。
「青く照らされてますけど、黄疸を防ぐためなのでびっくりしないで下さいね。」
へえ、そうなんだ。
「お父さん、赤ちゃん触りますか?」
「えっ、触っていいんですか?」
恐る恐る看護師さんに教わりながら保育器の扉を開け、右手を伸ばす。
さすがに頭を触る勇気はなかったので、赤ちゃんの左手にそっと触れてみる。
柔らかく、べとべとしているような不思議な感触だった。

赤ちゃんの顔を見ていると、しわしわのお爺ちゃんみたいだ。
ベンジャミンバトンという映画を思い出した。

病院を出て家に戻ると22時、妻にラインで写真を送り、就寝。
人生最大の山場を無事、乗り越えたのであった。

試練(4日目)

翌朝、7時ごろに起きてのんびりしていた。
この2日間は16時に面会していたので、この日も16時に面会をする予定だった。

11時ごろに病院から連絡があり、進捗状況を至急説明したいとのこと。
嫌な予感がしたので、駅からバスに乗らず全力ダッシュで病院へ向かう。

お医者さんから説明があるので、病室で待っていてほしいとのことだった。
病室に行くと、妻には軽く説明があったようで、このあと手術があるという事だった。

暫く待つと何度か話をした小児科の先生と、初めて会う小児外科の先生、研修中?と思わしき若い先生、看護師さんの4名が病室に入ってきた。
この時僕は人生で初めて、小児科と小児外科は別の分野であることを知った。
小児外科の先生から手術の説明を受ける。
どうやら一晩たっても便が出ないらしく、このような状況だと腸に穴が開いている可能性が高い、とのことだった。
病名は消化管穿孔、手術以外での治療法はないが、超低出生体重児ということもあり、最悪の場合、命を失うリスクがあるとのこと。
手術名は人工肛門造設、ただし一般的な人工肛門とは違い、腸を二つに切断し、それぞれをおなかの外に出す形になるらしい。
言葉で説明するのは難しいけど、お医者さんは図を描きながら教えてくれた。

説明を受けた後、手術の同意書に署名を求められる。
人生最大の山場である(1日ぶり2度目)
躊躇するが、断る選択肢はない。

署名を終えると、入れ違いに麻酔科の先生が来る。
全身麻酔を行うが、麻酔には危険度で5段階のグレード分けがされており、今回は緊急手術であり、麻酔科としては一番危険度の高いものに分類されるとのことだった。
説明を受けた後、同じく署名を求められる。
もちろん、断る選択肢はない。

手術前、妻とNICUに行き、赤ちゃんと面会する。
これからこの小さい体で手術に向かうのだ、もしかすると最後の別れになるかもしれないと思うと涙が出た。
もちろん妻の前で涙を流すのはこれが初めてである。

NICUを出た後、妻は病室、僕は待合室にて祈りながら待つ。
看護師さんからは「長丁場になるので、食事はしっかりとってくださいね」とアドバイスを受ける。

色々なことを考えていると、時間が経つのが早く感じる。
時計を見ると、もう18時を過ぎている、妙に手術時間が長い、いやな予感がする。

19時半ごろ、看護師さんから手術終了の連絡が入る。
NICU内の面談室にて、お医者さんの説明を受ける。
なぜか説明をしてくれたお医者さんとは別の、男性のお医者さんだった。
どうやら急患が入り、別の方に変わったそうだ。

術後の説明を受ける、腸の穴が開いている場所が見つかり、そこを切除した、とのこと。
そのあとの説明は手術前の説明とだいたい同じ。
要するに無事に手術が終わったのかな?と思った。
ドラマなんかだと「無事に手術が終わりました!」と言ってくれている場面だと思うが、リアルなお医者さんはそういうセリフは言わないのだろう。
「何か質問はありますか?」と言われたので
「理解ができてなくてごめんなさい、つまり、今日の手術の目的は達成できたけど、まだ現状ではどう転ぶか分からない、といった所なんでしょうか」と聞くと
渋い顔をしながら「その質問を聞く限りですと、私の話をだいぶ理解して頂いているのかな、と思います」
なんだか禅問答になりそうだったが、言質を取られたくない気持ちはよくわかる。
お医者さんには感謝しかない。

説明の後、再び赤ちゃんと面会する。
おなかのあたりにガーゼが当てられていて、ここが手術部位なんだろう。
看護師さんが「お母さんとお父さん、記念撮影します?」と言ってくれた。
なんだか不謹慎な気もしたけど、保育器の前でスリーショットの写真を撮ってもらった。

こうして、人生最大の山場(2度目)は無事終わったのだった。