ヒキコモリ奮闘記

元引きこもり男の生活を綴ります

子供が超低出生体重児として生まれた話 その2

5日目

手術を終え、だいぶ落ち着く
入院中は子供の面会が3回ほど許されているようで、写真が送られてくる

僕は1日1回、妻と一緒に面会する。
看護師さんにホールディング(赤ちゃんを手で包むように抱いてあげると、子宮の中のような安心感を覚えてくれるらしい)を教えてもらい、恐る恐る試してみる。
妻の方は手慣れた様子でホールディングをしている。

未熟児に対する支援制度があることを看護師さんに教えてもらったため、さっそく保健センターへ届け出書類を貰いに行く。
保険証が必要とのことなので、まず出生届を出さなければいけない、名前を考えないと。

話は変わるけど、NICUでの入院中も、食事はできる限り母親の母乳にするそうだ。
未熟児として生まれるとなかなか母乳が出なくて大変そうで、こうした辛さもあるのかと驚く。

6日目

朝から子供の名前を相談する。
入院した時から、名前を考えなきゃと二人で話していたが、真剣に考える余裕がなかった。
前々から案がいくつかあったけど、こういった形で生まれたから、名前を変えようかとも思った。
同じ読みでも漢字を変えたり…。

7日目

妻の退院日
それに合わせて看護師さん、お医者さんと退院前面談をした。
僕抜きで大体の話は済んでいたようなので、主に子供の病状と、妻の退院後の生活についてが主だった。
子供に関しては、動脈管開存症は治りつつあるので心配はないだろう、とのことと、腸に関しては退院前にもう一度、腸を繋ぎなおす手術を行うということ。
その他の病変は現在のところ見当たらないが、断言はできないということ。
ただし、現状で命に関わることは想定していない、という言葉を頂いた。
この言葉でだいぶ救われました、お医者さん、看護師さんには感謝しかない。

月一回以上のペースで、父母同席しての面会、病状説明の場を設けたい、とのことだったので、仕事を休んでいくつもりだ。
なお、仮に順調に子供が成長し、退院した後は、浣腸が必要になることと、薬の服用がある以外は普通の子供と同じように生活できるそうだ。

だいぶ、前向きになった。

その後

まだ、子供はNICUに入院中であるし、今後は成長に伴って見つかる障害があることも否定できない。
僕も妻も、精神的に不安定になったりもしたけど、普通の生活に戻っております。
これからは生活の中心が自分だけではなくなるという意識をもって、日々励んでいきたいと思う。
この1,2週間で自分の未熟さを思い知ったし、子供だけではなく僕自身も成長しなければいけないな。